前回動画「底地対策編#3」にて、“底地を最も高く買うのは借地人”と解説しました。しかし、多くの底地を所有する地主さんが借地人と個別に交渉し、すべての底地をそれなりの価格で売却するのは現実的に不可能でしょう。買いたくても資金不足の借地人、もともと買う気のない借地人もいます。そして、購入意欲のある借地人との交渉すらまとまりにくい原因として、地主と借地人、お互いの持つ意識の大きなギャップがあります。
路線価図には借地権割合が明記されており、借地人はその権利の割合は当然だと考えています。例えば「路線価D」地域は借地権の権利が60%、底地の権利は40%です。土地の価格の40%が底地価格ですが、その価格で買えるのは借地人だけとなると、40%でも安いとは感じない借地人も多いです。
いっぽう地主さんは、土地はあくまでも貸している、ましてや安く貸しているのであるから、時価の40%は安すぎると考えます。通常のモノの貸し借りだと、価値の減らないモノを安く貸してあげていた場合、それを売るとなると40%は安いかもしれません。ましてや戦前戦後に土地を安く貸した(してあげた)という地主さんの思いももっともです。借地人の中には、“地主さんに土地を貸してもらっている”という感謝をもつ人もいます。ごく稀ですが、無償で地主に返す人もいなくはありません。そういう借地人との関係の地主の場合、時価の50%でも底地を売らないケースもありました。
・借地の歴史について
「借地」とは、明治8年の地租改正で都市部を中心にできた慣習とされています。日清・日露戦争の時代、戦争需要で農村部から都心部へ人口流入が進み、都市部の土地価格が上昇し、当時権利の弱かった借地人はすぐに立退きを要求されたそうです。これに対し借地人の法的地位を安定させるべく大正10年に借地借家法の前身である「借地法」「借家法」が成立しました。ただし現在ほど借地人の権利は強くありませんでした。
その後、昭和に入り日中戦争の戦争需要で、ますます都心部への人口流入と土地価格の上昇が進みますが、政府による「地代家賃統制令」で地主は土地価格上昇にともなう適正な地代や家賃を収受できず、無理な立退きを迫るようになり、社会問題にもなりました。
昭和16年に借地法・借家法が改正され、今なお残る「正当事由」制度が導入されたのです。この法改正によって借地人に対する明け渡し(更新拒絶)が困難となりました。つまり旧法の借地・借家法は「賃借人保護の法律」として変化し続けてきた歴史があります。これと別に、関東大震災で被害を受けた借家人(しゃっかにん)が建てたバラック建物を借地権と認める「借地借家臨時処理法」という法律により、関東圏において借地の供給が大きく増えたことや、戦後のどさくさで家に困った人に善意で土地を使わせたところ、強力な借地・借家法に守られ土地が戻ってこないケースもあります。とうぜん地主さんは底地に対して被害者意識もあるでしょう。しかし借地人、特に代替わりをした借地人にとっては「法律で守られた借地権=当然の権利」ですから、底地に対する地主の意識と借地人の意識には大きなギャップがあります。
動画URL:https://youtu.be/aIwcjLI7_6E?list=PL4SLxb31faRJqLKbkJ433OE50xOh6lzSz